八卦循導功適用の一例報告


1977年1月31日〜1999年3月10日
治療法がないと診断された
感覚麻痺に対する気功の適用例



患 者:京都市 T.Y氏 25歳 男性 建築現場監督業

経過概要:1997年(平成9年)1月31日、仕事現場へ出勤途中から目眩、四肢脱力があり、感覚麻痺、発語不能で日赤へ救急入院、味覚不治、一時左手と右手が動かせなくなる。「脳幹梗塞」と診断される。集中治療室で2週間寝たきりのあと1ヵ月後、自分でトイレに行くまでに回復退院、以後近医で外来通院となる。内服薬とリハビリを継続されるが、はかばかしくなく、経過観察しか方法がないとされる。5月右足ややよくなったという自覚あるが、左足は力がはいらないので歩きにくい。

10月3日アーティ気功教室に入会される。以後、漢方薬、外気功(気功師による気功)、内気功(自分で行う気功)を併用し経過良好、1999年(平成11年)3月、リハビリ、内服薬ともに中止となり社会復帰される。現在内気功を週1回継続中。
T.Y氏の経過



薬 暦:1997年1月 ○ 点滴(患者に内容は知らされていない)
○ 内服薬(パナルジン、カリウム)毎朝各1錠 (日赤にて)。
9月半ば、薬疹が出て一時休薬。近医にて、(プレタール50r/朝夕1錠、ムコスタ/朝夕1錠、トレンタール/朝1錠)

【1997年10月3日】 北文化会館アーティ気功教室入会

所 感:左肩が上がり、右肩が下がる。左足無力感があり、引きずる感じであるが歩
行可能。目眩、発疹(全身)あり、顔色紅い。
身 長:175cm、体重73kg 血圧:140―91mm/Hg
外 気 功:(個人セッション)20分間、
内 気 功:(グループ)90分間(途中休憩の必要あり)週1回。
:舌色/紅舌、苔色/白苔、苔状/少苔、舌形/肥大舌、疚血なし
八網気血水弁証/痰飲、血疚、裏寒 、五臓弁証/胆化陽亢

【1997年10月13日】

漢 方 薬:「桂枝茯苓丸 合 天麻鈎藤飲」10日分服用。

【1997年11月30日】

漢 方 薬:「天麻鈎藤飲 合 牛車腎気丸」30日分服用。

【1998年1月22日】

T氏の話:左足が自由に動かせる。足の不自由なことを気にせず気功に集中できた。
尿酸値/9,2
:舌正常、肌色正常。
漢 方 薬:「天麻鈎藤飲 合 1/2牛車腎気丸」に減量して30日分。以後止め。
外 気 功:20分間。
内 気 功:90分間(途中休憩、太極棒功法開始)週1回。

【1998年2月20日】

T氏の話:「左右のバランスがよくなり、ゆっくり歩けば支障ない。力が抜ける感じも無くなる。力仕事をした後、脱力感があるが、1時間位睡眠をとると回復する。」 仕事休業中。
西 医 薬:2月15日からムコスタ、トレンタール中止となりプレタール継続中。
内 気 功:90分間(休憩なしで参加)週1回のクラスほか、自宅でも練習。

【1998年3月13日】

T氏の話:「体が意志どおり動かせてうれしい。アスレティックの運動強度の目標を 少しずつ上げていく。」
:舌色/紅。その他正常
内 気 功:90分間(週1回、授業中曲がり角をスムーズに歩ける。自宅練習も)

【1999年2月12日】

西 医 薬:プレタール止め。

【1999年3月10日】

T氏の話:「病院通院一切終りました。もう来なくても大丈夫と言われました。建築の外周を監督する仕事につく。従来より内容的に軽度であるが現場復帰できてうれしい。」

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治療の仕様がない感覚麻痺の時、
気功に出会った経験

(京都市) 横山太樹さん


工期という名の法律に近い束縛のなかで建築物は建つのだ。お金が何十億と絡むと人間は変化し感覚も一種の麻痺に近くなる。工期は、催眠術師の如く僕達に無言の命令を下し、僕達は奴隷の様に使われる。睡眠は削られ明日の段取りに自分の時間はさかれてしまう。毎日がけだるく一日一日と過ぎていく、今を感じることなく次の日と言うように日単位から週単位から年単位そして工期リミットまでを考え気持ちに余裕は無く仕事オンリーの生活になる。
・・・というような事を4年以上つづけ、5件目の現場で経験したくない出来事に遭遇したのである。

珍しく京都に多くの雪が降り棟上が遅れ、人が通らないところに多くの雪が残っていた平成9年1月31日の出来事である。

何時もの様に、朝家を出て車に乗り込み煙草を吸おうと思ったが何故か上手く火が着かず吸えぬまま現場に車を走らせた。千本北大路に差し掛かり左折で左を確認しようと左眼に指令を頭では送っていたが、目が動く気配が無いので「なんやけったいやな」と思いながら顔ごと動かして事無きを得た。信号待ちで煙草を吸おうとジッポに火を漬けたが何か吸う気に成れなかった。「あんだけ吸いたいと思っていたのに」と考えつつ現場に着いた。車を降りると加茂川上流の冷気の挨拶を受け、ガードマンのおっちゃんに挨拶をされ「おはようさん、寒いな」と言い自販機で百二十円の温もり買いガードマンのおっちゃんに渡して足早にプレハブの現場事務所へ向かった。「おはようございます。今日はこの様な段取りで行きますし」とか上司の人に言い、またここでも煙草を取り出し吸おうと思うが何か吸えなかった。仕方無しに缶コーヒーの蓋を開けようと右手で引こうとした瞬間に時計回りの眩暈と共に崩れ落ち幸い喋って居た人の方にゆっくり倒れていった。

「おい、大丈夫け」と言う言葉で気を取り戻すまでの記憶は無い。「大丈夫ですわ」と返事をし、立とうと試みるがよろけて立つ事が出来ない。「なんやおかしいな、足に力はいらへんやん、どうなってんねん」と思いつつ、なんとか机まで辿りつけ休んでいると目茶目茶体が気だるく唾は無くなり左手がしびれてきて「障害者の人みたいになって来たな」と思いつつ力が入らず「これは悪い方向に向いているぞ」と考えていると事務の女の子が出勤してきた。「横山君どうしたん?顔色悪いで」と言われて返事を返そうと思うが唾が無く舌は麻痺状態に近くなり、喋っているが耳には聞き取れなく、もごもご口篭もり筆談で喋り「昔からのかかり付けの医者に連れてって」と書いた。現場事務所は2階に有り足の力が入らない男一人の体重は予想以上に重く何とかして車に乗せて連れて行ってもらう事が出来た。20人くらいの患者さんを差し置いて直に診察してもらっていると、足が死んだ人のようにとてつもなく冷たく「腐ってくるのちゃうやろか」と思い右手で摩り救急車が到着するのを5分位待った。

府立病院に到着した。薄れたりハッキリしたりの意識レベルの中で第二日赤のICUに搬送した医師の声に反応した事ははっきり覚えているがその後がどのような治療でICUのベットに寝たのかは思い出せない。女の人のわめき声とも言えない悲鳴で目覚めたのは、午前3時頃であった。沢山の器具に繋がれサイボーグにでもなるようだった。朝を迎えるころ、両親と医師が会話をしている声が聞こえた。「この状態では、車椅子生活を覚悟しておいてください」と言う説明がされていた。
「障害者になるのか、どんな車椅子買おうかな」というように楽観的に考えていた。自分でも不思議と思うがそうなのである。口が利けるようになってくるとますます楽観的に考えていった。「ようけ寝れてええわ」とか「連絡せんでもようけ休める」みたいな事を考えていた。

とにかく横になれて気分的に充実感があり、心地よい清涼感に包まれていた。休める事がこれほど良いものなのかと感じていた。この頃の自分自身の頭の中はコンピューターが入って無い状態で、考えようとしても考えられず臍をかむ思いが続いていた。そして、2週間ほどで二人部屋に移されたこの時も身体は動かしてはならない状態であり、寝て目覚めさせられ寝ての日々を2週間ほど繰り返して、トイレに自分で行って良い許可が出た。

これからが大変な日々に成っていくのである。人は日常、普通に歩けるという感覚は意識せずに過している訳ですが、その感覚を頭に残したままで身体は付いてこない、例えばよく衛星中継で喋って答えに時間がかかって遅れているが如くに、歩こうとすれど足が脳の指令よりも遅れて出てくる為に上手く歩けないのだ。この感覚に慣れるのは難しかった。リハビリだけになり、外来での通院となったが、体力の無い者には苦痛極まりなく病気になりに行っているみたいであった。タクシーの座席に座るのがしんどくて歩くのもままならず中途はんぱに退院したような気分であった。一ヶ月過ぎた診察の日、病状がもう一つ芳しくない事を医師に伝え、そしてもう一度検査をする為一ヶ月程入院した検査結果は、やはり脳からの電気信号が足にまで届くのが遅く、麻痺状態に近かった。治療のしようが無く感覚が戻るのをリハビリと内服薬等で様子を診ると言う事で退院した。

そして、9月の下旬頃に叔母から「気功というものがあるので、一回診てもらうか」と言う事で、平成9年10月3日に外気治療なるものを受けに北文化会館に行った。二十分位待ち、巖先生から申し訳無さそうに「ごめんなさいね」と声を掛けられ、治療していただいた。先ず問診表に記入し、それを見ながら舌診に入り、色、形等を診てもらい外気治療へと進んだ。
テレビ等での気功は知っているが現実の気功初体験であった。楽にして座布団の上に座り手の平を上に向け、目を瞑り呼吸を整えると目の前に白い陽炎のような物が浮遊して、その流れに連動して身体が前後左右に揺れはじめた。「深くため息をつき、嗚呼これが氣なのかと噛み締めた」そして、続きに気功教室に参加させて頂き氣の充電を受けた。見様見真似で気功をやり解らない言葉に苦戦し終わり、僕が気功していた周りの人には「今日は、何か寒かった、冷たかった」と言われ、僕の氣は燃えていないのだなと感じさせられた。それが1、2ヶ月続き氣の集る真中で気功をさせてもらい周りの人からは「冷たい」との類の事を言われないまでに回復した。

現在、人間と言う意味が解りかけて来たように思える。人間の間は、天と地が在りその間でいかされている生き物が人である。その事を忘れて自然に反し苦しみ、嘆き、もがき、恰も人が地球で一番偉いと勘違いしているだけの事である。自然の運行にしたがって生きている動物達の方が自然の運行の通りに生きている。そこが地球上に生かされている生き物の生き方そのものではないかと思えてきた。春の氣を感じ、夏の氣を感じ、土用の氣を感じ、秋の氣を感じ、冬の氣を感じられてこそ当たり前の1年を送れる様に思えてきた次第です。
北文化教室の皆様方には大変お世話になり、氣を与えて頂いたおかげで今の自分があることに大変感謝を致しております。
巖先生とは、出会うべくして出会えた人と感じています。大変ご迷惑をおかけしております。

追伸として ――


長い人生には、どうしても避けようとしても、どうしても通らなければならない道ということがある。
そのときに、今までカッコつけていた自分に気づき、どれだけ付けているものを取れるかでその道は険しくも、優しくも変わる。
じっと歯をくいしばり弱音を吐かずに進むと、人間としての根っ子が深くなる。その根っ子の意味は見る人が見れば解るものです。気づき、考え、行動する。これが、倒れて教訓になった僕の考えです。ご参考の程に・・・






全快おめでとうございます。



薬疹で赤ら顔をした横山さんは、親類のおばさんにつきそわれて、重そうな足どりでやってこられました。太い金のネックレスや、水晶の腕輪などつけて、イカツイ印象でしたが、話の要点をつかんで理解できる方で、すぐツーカーで通じるようになりました。漢方薬と気功をおすすめし、煎じる係をされるお母様に電話したある日、お母様は「先生、漢方薬って性格まで変える作用があるんでしょうか。前は、何かイライラして家でもおこりやすかったのですが、このごろおだやかになったんです。」とおっしゃったので、さすが親ならではの観察力だと思いました。漢方薬も、気功も、イライラしたストレスを平静にする効果があり、横山さんにあっていたのでしょう。私は薬剤師ですが、患者さんが1ヵ所で薬のアドバイスや気功を習えるような医療現場が広がってほしいと考えて、援助させていただきます。ひどい時に、あちこに行くのは過酷というものでしょう。良い経過をたどられ、うれしく思います。

病の治癒には、「医学的治癒」「社会的治癒」「心理的治癒」があると思います。病になったという事実だけでも、人は大いに傷ついているものですから大変です。治療が終っただけでは治ったとはいえないし、職場に復帰しただけでもまた治ったとはいえず、人として病から学んだことを活かし、新たな生き方をする心の力が出た時が、本当の治癒だと思います。
その意味で、病は人の成長のある時期のプロセス(過程)であり、それをもとにして、健康な面をいっそう成長させるチャンスをくれるものです。
横山さんの文章を拝見して、「本当の治癒」を獲得されたと感じます。
2年2ヵ月という月日、闘病だと思えば実に長かったでしょうが、自己成長に投資していたと思えれば、短かったといってもいいでしょう。
どうか、気功をつづけて、現在益々健康でご活躍下さい。
(巖 美稚子)


巖 美稚子

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