氣功と私
平成11年12月 朝日カルチャーセンター芦屋医学氣功講座入会

Kさん
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 2001年4月末、私達は氣功研修の旅として関空から一路北京へ旅立ちました。「期待と不安で一杯」と言いますか、私の場合不安の方が大きいウェイトを占めていたと思います。芦屋カルチャースクールで、巖先生と出会ってから1年と4ヶ月が過ぎた頃でした。今回の旅で一番印象に残ったことは、北京から夜行列車に乗って、少林寺のある鄭州という所へ行ったときのことです。少し早めに目がさめて、コンパートメントを出て外を見たとき、もう夜は白みかけていました。朝もやの中、遠くに柳の木のような並木が汽車と平行して延々と続いていました。汽車からは、何も見えなかったのですが、その続く長さから察して、きっと向こう側は黄河なのだろうと思いました。学校で習った地理や世界史、漢詩の中に出てきた黄河。
中国四千年の歴史の中をたゆとうと流れ続けてきたあの黄河が今、私の目の前に横たわっているのだと思ったとき、感極まって一人で涙してしまいました。あっ、私は元気で生きている、中国の大地の上に居るのだと実感でした。そして、やっとここまで来れたのだとゆう充実感でした。1999年の誕生日の少し前、軽い気持ちで受けた検査の日、その場で「腫瘍がありますね。これは悪性です。」と言われました。その瞬間が悪夢の始まりでした。大手術の後集中治療室、沢山のチューブにつながれ寝返りも打てない毎日、眠れない長い夜、そして放射線治療。自分で自立した生活が出来るようになるまでに半年かかり、でも本当に辛い生活のスタートは実はその後からでした。一人で悶々としていた頃、友人が氣功のビデオを送ってくれました。でも何度見ても氣功とは何ぞや、さっぱり解らないのです。体に良いらしいよと言われるものにはワラをもつかむと言った心境でしたので、何とか教えて下さる先生を探そうと思いました。そして紹介されたのが巖先生の教室でした。即、入会しました。私は今、先生とこの出会いが私の人生を変えてくれたと思っています。同じ思いを話す相手もなく、自分のこれからも解らない、娘の結婚や出産、それに孫の世話など何もしてやれないかもしれない無念さ、死への恐怖、後はどうなるのだろう、そして、なぜ私にだけ…などなど。健康だった頃には考えもしなかった事を毎日毎日思い惑い、落ち込んだり、それを打ち消したり、一人で堂堂巡りをしているわけです。このままでは、だんだん気が触れてゆくのではないかとまで思いました。でも本当に不思議なのです。氣功を習い始めて1年を少し過ぎた頃でしょうか?氣功の仲間の人たちが「顔の表情が変わってきたね」「いい顔になってきたよ」などと言って下さるようになったのです。そうなんです。今まで真っ黒かグレーの色の様に感じていた私の心に、いつの間にか白っぽいピンクの色の光や色が加わるように、自分でも感じていた頃でした。フッとした瞬間に「あら、今日はいつも思っていたあの事をまだ一度も考えていなかったわ」と思うことがあるのです。これはどんなにうれしい事かしれません。やっと開放されつつあるのだという安堵。氣功は私にとって、どんな高価な健康医薬品にも勝るものでした。氣功で病気に勝ちましたと言えるよう、これからも精進してゆきたいと思っています。そして最後に、不安を抱いてスタートした旅は、それは充実したものでした。万先生にお目にかかることも出来ましたし、お弟子さん達の誠実で一生懸命な様子にも感動しました。今思い出しても、あの外気治療や足マッサージはくせになりそうですし、毎日いただいていたお料理は今でもその味が忘れられません。




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